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先日のNHKのドキュメンタリーに最初は驚き、それから本当によかったと思った。生命科学者の柳澤桂子が奇跡的に回復していると言う。「生と死が創るもの」が自分の最後の本だと言っていたし、病状が相当悪いとも聞いていた。病状は原因不明の痛みで、IVH(心臓からの静脈に入れたカテーテルで栄養補給や輸血、投薬、採血等をする)を外して安楽死させてくれと言うほどの強い痛みだった。それが、ある神経伝達物質の服用で回復しつつある。注意してTVを見ていた知人によると、その薬は、プロザックで有名なリリー社のものだったという。(実際に何かは不明)主治医の様子では、何故効くのかもよくわからないらしい。服用してから1〜2週間で効果が出てきたのも、不思議ではあるが、脳に作用する薬ではよくあることである。 その柳澤桂子の「われわれはなぜ死ぬのか」の中で、人間が自らの死を意識したのは、自意識の発生と同時であろうと書いている。 自意識と言えば、昔から興味のあった分野なのだが、最近、意識と脳に関する非常に面白い本を読んだ。V.S.ラマチャンドランとS.ブレイクスリーの「脳の中の幽霊」である。これはライアル・ワトソンの「生命潮流」に匹敵する久方ぶりの面白さである。 意識に関する問題に「クオリア問題」と呼ばれているものがある。何故、一人称の記述(「私は赤を見ている」)と三人称の記述(「彼は、彼の脳のある経路が600ナノメートルの波長に遭遇したとき、赤を見ているという」)があるのだろう。「客観科学」の体系では一人称の記述は必要でないが、これは意識が存在しないと言うことではないことは明らかである。この「私」と「彼」の障壁を取り除けば、自己と非自己の隔たりが幻想であることがわかる。インド生まれのラマチャンドランは言う「あなたは宇宙と一つなのだ」。 著者は思考実験で、この問題をスマートに解く。自分の「赤い」と言う感じを色盲の人に説明する場合を考える。最終的に色盲の人は、ある波長の光を受けたときの、私の神経活動をモニターすることで、「赤い」とはどういうことか説明できるが、私の感じは伝えることができない。このギャップは神秘的なことではなく、単に言語の翻訳でいつも起こることだ。つまり神経活動という言語から、日本語の「赤い」に翻訳される過程で、翻訳できない部分が抜け落ちてしまったのだ。これは程度の差はあるが英語と日本語でも起こりうる。翻訳なしでコミュニケーションするには、お互いの脳の適切な部分を神経細胞でつなげばよい。これは理論的には可能である。こうすれば色盲の人は、「なるほど、これが赤ですね。」とわかる。 つまり、1人称と3人称の問題や、心と物質の問題は、見かけ上のものである。 古代のインドの神秘思想家は正しかったのだろうか?
それはそうと、最近コーヒーに砂糖を入れるようになった。それは脳を活性化する一番手っ取り早い方法だからである。カフェインと糖分が同時に脳に作用する。これは生田哲の「脳と心をあやつる物質」からの役に立つアドバイスである。
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