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鉄腕アトムのこんな場面を覚えているだろうか。池のほとりでアトムの友人のケンイチがハモニカを吹いていて、みなうっとりと聞きほれている。ケンイチの飼い犬さえも心地よさそうにしている。しかしアトムにはその感動が分からずに悩むのである。 中学生の頃、飼っていた犬、ボビーも音楽がわかっていたと思う。幼い頃さみしがって、よく鳴いたが、音楽を聞かせると次第にうとうとし始め眠ってしまうのである。その時の音楽とは、デイブ・グルーシンのサントラ、「レーサーのテーマ」だった。(これはCDで復刻して欲しい1枚である)。大きくなってからもステレオの向かいにあるソファに寝そべって音楽を聞いていた。私とボビーの共通のお気に入りはジェネシスの「シネマショウ」の中のトニーバンクスのキーボードソロだった。ただ弟がエアロスミスやツェッペリンを聞くときには逃げ出した。ボビーにとっては、それは音楽ではなくノイズだった。 人間はしかし、ノイズを心地よく感ずるときがあるらしい。例えば、最近、続編が出たが、リック・ウエイクマンの「地底探検」では、大編成のオーケストラとコーラスをバックにした、へたくそなだみ声に妙に快感を覚えるのである。考えてみると、これはグランドピアノをハンマーで壊すショーを見る快感と共通するところがあるのではないか。 今までノイズだと思っていたものに何かがきっかけで快感を感ずるようになることもある。一度快感を感じると、だまし絵の見方を覚えたように、いつでもその快感を感じることができるようになる。 実は、アラニス・モリセットの「ジャグド・リトル・ピル」を最初に聞いたときは、私にとってはノイズだった(失礼!)。それがあるとき快感に変わったのである。 先日の報道で、最近の音楽はノイズに近づいているという研究報告があった。いまにホワイトノイズが70分入ったCDをショップで買う日が来るのであろうか。 |