ディープ・ブルーは電気羊の夢を見るか?

私がコンピュータ・サイエンスに進むきっかけとなったのは、フレドリック・ブラウンの一編のショート・ショートである。それはこんな話だった・・・。

・・・ついに世界最高最大のコンピュータが完成し、電源が入れられる。そしてコンピュータに対し、最初の質問が発せられる。「神はあるか?」するとその答えは「そうだ、今こそ神はある。」質問者は不安を感じてスイッチを切ろうとする。その時雷鳴がとどろき、雷がスイッチを溶かしてしまった・・・。

先日、BSでカスパロフとディープ・ブルーのチェス対決のドキュメンタリーが放映された。カスパロフが、ディープ・ブルーに知性を感じた、と語ったというナレーションが耳にこびりついてはなれない。
「初めて明かされるディープ・ブルーの思考過程」ということだったが、定石が通じない局面での先読みの方法は、20年前のAIの教科書に書いてある方法と基本的に同じで、びっくりした。当時は処理能力が非常に低かったので、先読みする局面の数をどう減らすかのテクニックの話題が盛んだった。

何日にもわたる対局中、ディープ・ブルーは調整されたし、(これをディープ・ブルーが自分でやったのなら誉めてやるのに・・・)カスパロフもコンピュータの専門家からアドバイスを受けていた。コンピュータの勝利と言うよりは、一人の天才を中心としたチームに、コンピュータを中心としたチームが勝ったと言うことか?

これは処理能力の向上により、コンピュータが知性らしい動作をするようになった例だが、逆に翻訳などは、昔から「今はメモリも処理能力も不足しているが、これらが豊富になれば、質のよい翻訳ができるようになる。」と何度もいわれてきた。にもかかわらず、いまだに貧弱なままである。これは翻訳は単なる単語の置換えではなく、コンピュータの中で世界のモデルを構築することが必要だからだと言われている。こういうことができたとき、はじめて知性と呼べるのではないだろうか。そのようなマシンはチューリング・テストにも合格するかもしれない。

AI(人工知能)に対する批判に、次のようなたとえ話がある。

夜、街灯の下で老人が探し物をしている。一緒に探してやるのだが、どうしても見つからない。どこでなくしたのかと聞くと、向こうの暗いところだという。では、ここで探しても見つからないでしょう、と言うと、「ここのほうが明るくて探しやすい。」

ディープ・ブルーはカスパロフに勝って、喜びを感じたろうか?