コンプレクシティ、コンプレックス、シンクロニシティ

「インターネット 激動の1000日」の中に、インターネットはカオスだという表現が出てくる。これを読んで、真っ先に頭に浮かんだのは、最近クローズアップされている複雑系(COMPLEXITY)である。複雑系ブームの発端となったミッチェル・ワードロップの「複雑系」には、実は日本語になっていない副題があって、それは「秩序とカオスの縁(ふち)の創発科学」(THE EMERGING SCIENCE AT THE EDGE OF ORDER AND CHAOS)である。私はこれが複雑系の最もシンプルかつ的確な表現だと思う。「創発」が分かり難いが、これは、予想外のものが突然立ちあらわれることだそうだ。ここで刺激的なのは「生命や精神を可能にしている不思議な”何か”は秩序の力とカオスの力とのある種のバランスであるということだ。」相反する2つの現象のバランスの上に豊かで多様な(そ して予想できないたような)現象が生ずるようだ。

境界といえば。一昔前の情報で申し訳ないが、一時、宇宙の膨張速度は、発散するか収縮するかの境界のあたりにあると言われていた。この速度が、現状より少し速いかまたは遅くても、現在のような生命は存在し得なかったろうともいわれていた。つまりわれわれが今、こうして宇宙に思いをはせることができるのは、宇宙の膨張速度が、非常に微妙な範囲にあるからである・・・。当時は、これらの間に深遠な関係がありそうで、偶然の一致とは思えなかった。

品川嘉也は「意識と脳」で熱力学の第2法則にもかかわらず、なぜ人間のような高度で複雑な生物が進化したか、あるいはなぜ進化が起こりうるかという理由として、宇宙の膨張を挙げている。閉じた系ではないということなのだろうか。

エントロピーとコンピュータに関連した話題に、回路の発熱の問題があった。論理ゲートはNANDにしろNORにしろ、入力数よりも出力数が少ない。つまり情報処理とは、情報量が減る過程である。エントロピーは情報量の対数であり、熱力学の第2法則により、エントロピーが増大し、かつ情報量が減るといことは、熱が出ざるを得ないのである。という、論旨が大論争になったことがあった。

「宇宙の焼死」なんていうSF小説もあって、熱力学の第2法則により、宇宙の終末は物質が空間に均等に広がって変化しなくなるという。だが現代の宇宙の終末像はブラックホールがごろごろという最後らしいが・・・。

宇宙の終末はビッグ・クランチと呼ばれているが、最近のはやりはビッグバンの方である。”The First Three Minutes"”とはどんな本のタイトルかというと、今では誰も驚かないが、なんと宇宙が始まった最初の3分の様子を記述した本だった。(その後、最後の3分の本まで出た。)日本語の題名は、残念ながら「宇宙創成はじめの3分間」となっていた。これではあまりにもそのまんまである。もっともアインシュタインの「相対性原理」が出版されたとき、女子学生が恋愛の本だと思って買ったという話もあるから、これはこれでいいのかもしれない。

さて複雑系に戻り、コンプレクシティではなくて心理学用語のコンプレックスはユングが作ったといわれる。昔、ポリスの「シンクロニシティ」というアルバムが出たとき、スティングは教養あるなあと思ったものであるが、このシンクロニシティもユングが唱えたものである。「シンクロ・・・」が出た当時のTVで、来日したスティングがニヤニヤしながら小林克也に説明していて、小林克也は訳が分からんような顔をしていた。これは意味のある偶然の一致のことだが、(なんか定義自体が矛盾しているようですね。)潜在的に万人の興味を引くものである。(物理学者のパウリも共鳴して、ユングとの共著「自然現象と心の構造」を出したが、むちゃくちゃ難しくて、私は十頁でなげた。)近年、友人に薦められて読んだ「聖なる予言」を、これはまさ にシンクロニシティだ、と思ってしまった。

日本のユング心理学者といえば、河合隼雄さんが有名である。彼の著作に「昔話の深層」という楽しい本があって、いわば、伝説のリテラシーともいうべきものである。最近はメディア・リテラシーやらコンピューター・リテラシーだのとよく耳にするが、リテラシーとは本来、読み書きの能力のことである。メディア・リテラシーは、例えば、(CM等)映像に、製作者の意図を読み取ろうとする基本的常識である。カナダでは、小学校などで、実際に映像を見せて、「作者はなぜ、あの場面の次に、その場面を入れたのか、なぜ、このアングルなのか?」等を考えさせる授業があるそうだ。こういう子供たちが大人になった時代は、CM作成者はとてもやりにくいだろう。尤もそのころはCMのメディアはTVで無くて、カオスと秩序の縁にあるインターネ ットになっているかもしれない。